老いるということ

介護

先日、久しぶりに父に面会に行ってきました。転倒を繰り返し、メガネが壊れてしまったので、メガネを作りに行ってきました。8月で89歳になった父、脚腰が弱ってしまっているので歩行器を使用しているのですが、本人はまだ自分でトイレに行こうとしているようです。ですが、自分が思うのとは全く違い体は動きません。ですから転倒しますし、おそらくトイレに行っても失敗することが多いのではないかと思います。認知症もあり、とにかく思うようにいかないと怒り出すようです。本当に介護士さん泣かせです。

母は70代でアルツハイマー型認知症を発症しましたので、介護施設に入るまでの数年、父が家で介護していた間は大変だったろうと思いますが、施設に入ってからはほとんど何もわからない状態でした。介護士さんの手を煩わせることもなく、最期、亡くなったときは母は「天使のようでした」と言ってくださいました。

自分の意思に関係なく、人は老いていきます。私もそんなに遠い未来ではなく老います。その時どういうふうに生きていくか。最大の問題です。「人に迷惑をかけずに生きる」と少し前までは思っておりましたが、年をとってから、人に迷惑をかけずには生きられないと実感しております。では迷惑ではなく人の助けを借りて、「快くお世話になろう」と考えるようになってきました。人は年をとればとるほど、頑固になっていくようです。なぜなら長らく染みついたじぶんの考えや信念をそうそう変えることはできないからです。だからこそ、今から心に刻んでおこうと思います。

快くお世話になるためには

  • それが正しいかどうかに関係なく、若い人の言うことに従う
  • 自分でなんでもしようとせずお願いする
  • 「ありがとう」といつも言う

ただ問題なのはそれがいつから始まるかがわからないことです。老い方は人によって様々です。90歳を過ぎてもピンシャンしていて自分で自分のことができる人もいれば、母のように70代でできなくなる人もいます。父の場合は85歳までは自分で自分のことができておりました。父の口癖は「お前の世話にはならん」でした。「イヤイヤ私でなくとも介護士さんのお世話になっているし、それなら快くお世話してもらおうよ。」と思う今日この頃です。父は母のお世話になった介護施設におります。スタッフの入れ替わりが激しいので母のことを覚えてくれている人は少ないですが、母が天使だったっら、父は悪魔?と思ってしまいます。

もうすぐ敬老の日です。本来、敬老の日は高齢者を敬愛する日ですが、親の老いを目の当たりにして、近い未来の自分の老いに真剣に向き合おうと考えさせられる日でもあります。

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